朝の散歩(フジオのブログ)

日記、感想、創作など。

『ボクと魔王』の思い出①

また思い出のゲームについて好きに書きますね。

 

今回は『ボクと魔王』について。

 

2001年にSCEから発売されたPS2初期のRPG作品です。

 

ボクと魔王』は、他のちゃんとしたファンの方たちがかなりしっかりした解説や考察、素敵な二次創作をされています。そういうのを読みたい方はここで引き返してくださいね。

 

このブログは、インターネット迷路の行き止まりに相当する場所です。内容が浅かろうが間違っていようがお構いなしで、ただ私が書きたいように『ボクと魔王』について書いていきます。

 

 

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〜あたいと『ボクと魔王』の出会い〜
我が家にPS2が初めてやってきた時、それまでテレビゲームがない家庭だったので、「せっかくだから何かPS2ソフトを買おう!」と思って購入したのが『ボクと魔王』でした。

 

数あるPS2ソフトの中からなぜ『ボクと魔王』を選んだかといえば、
・そもそもPS2のソフトをよく知らず
・『ボクと魔王』はTVCMで見たことがあり
・そのCMがなんだか可愛い印象だった

…くらいの理由だったと思います。今の時代はどうか分かりませんが、TVCMの宣伝効果ってすごい。

 

とにかく、かなりふんわりした理由で購入に至りました。

 

 

〜何もわからない〜

購入したソフトを起動しまして、最初に出てくる無音で白黒なタイトル画面になんだかドキドキし、そしてニューゲームから始まる童話風の世界観にワクワクしました。

 

ボクと魔王』のゲームシステムは、今思えばかなりシンプルだと思います。が、ゲーム経験のほとんどない当時の自分は何も、本当に何も分かっておらず、すぐに失敗を重ね始めました。

 

(戦闘システムがわからず最初のボスでゲームオーバーになる → もちろんセーブもしてなかったのではじめからプレイし直す → 2回目のボス戦では緊張し、何かの拍子で思わずコントローラーを引っ張ってしまう → 少し高さのあるところに置いてあったPS2本体が床に落下 → ソフトが読み込まなくなって買い直し)

 

この他にもいろいろプレイ中につまづきまくりまくって、何度も悲しい気持ちになっていたけど、それよりも楽しさが上回っており、最後までプレイできました。

 

何がそんなに楽しかったのでしょう。

 

 

〜これがRPGかぁ〜

自分にとって『ボクと魔王』はポケモンを除く初めて遊んだRPGでした。そのため、物語を進めて、冒険するという行為がシンプルに楽しかったです。

 

他の人にとってのドラクエのように、FFのように、ゼルダのように、テイルズのように、初めてのRPGってすごくワクワクしませんでしたか。主人公を動かして、その世界を旅して、いろんな人と出会って、謎を解き明かして、レベルアップして、物語が進んでいく。そんなRPGの楽しさを教えてくれたのが、自分にとってはこの『ボクと魔王』でした。

 

地元を出るだけで、新しい街に辿り着くだけで、仲間が増えるだけで、サブクエストの存在を知るだけで、RPGっぽいこと全てにドキドキしていました。

 

ラスボスがパッケージのイラストにしれっと混ざっているのも、今なら「ふーん」くらいにしか思わなそうでしが、物語慣れしてない当時の自分は「エーッ!」「やられた!」と素直にビックリしていました。

 

エンディングを迎えた時、ハッピーエンドを迎えた達成感とこの物語が終わってしまう寂しさが織り混ざって、比喩表現ではなく胸が痛かったです。

 

物語の流れ自体は、「平和な町に住む主人公がある日トラブルに巻き込まれ、そのまま旅に出ることになり、途中何人かの仲間と出会い、最終的に世界の(あの子の)敵を倒す」というオーソドックスなものだと思います。

 

オーソドックスなんですが、それゆえにかなり”RPGのお約束”や”世の中の常識とされているもの”を茶化したり皮肉ったりしている設定やセリフが多いんですよね。当時は全然分からずやっていましたが。

 

私にとっては初めてのRPGだったけど、きっと本来のターゲットユーザーは”ある程度RPGをやったことがあって、尚且つその王道ストーリーに飽きてきている”層だったんじゃないかなと思っています。

 

その後自分もいくつかの他のRPG作品もプレイし、久々に『ボクと魔王』をプレイし直した時は、1回目では気づかなかった楽しさに気づけて、さらに好きになってしまいました。

 

 

〜現実の自分も揺さぶってくるじゃん〜

あとは単に王道RPGを皮肉っているだけでなく、”分類”という言葉がキーワードになるのでしょうか、アイデンティティを問われるような設定も印象的でした。物語の前半と後半でストーリーのテンションがガラっと変わるのもドキドキしました。

 

ゲームをプレイしてから10年以上、いや20年以上経つのにいまだにこの作品を思い出すのは、現実の自分とゲームの中の話が繋がるから、というのもあります。「私も外部から何かしら分類されて安心してるな(やばいな)」みたいな感覚というか。いやはや、自分をしっかり持つってすごく難しいことです。

 

〜余白の美〜

それと、世界に・物語に余白がある感じが、想像力を掻き立てられます。自分が主人公として走り回っている世界は箱庭というか、もう一次元上の世界ある感じですよね!?「ここは箱庭じゃ」とはっきり言われないけど、それに近いことを言うキャラはちょいちょい出てきていたような。記憶と理解力がない。(ああ、久しぶりにやり直したいです。リメイクや移植、ずっと待っています)。

 

そういう”作り物の世界”というあり方が見えてきた途端、絶妙だったグラフィック(わりと荒めのポリゴン)や、ちょっと長めのロード時間をかけて開けた扉の先が空き部屋なこと、中途半端に途切れた線路も、主人公の家と後半のボスの屋敷の間取りがそっくりなことも、全部”しっくり”来るのがたまりませんでした。「CMが人形劇風だったのもそういうこと…!?」と、後になってハッと気づいたり。

 

エンディングでは続編が出そうな雰囲気があったので数年はわくわく待っていましたが、結局出ていませんね。残念ではありますが、1作きりで終わって、余白が余白のままなのも、謎は謎のままなところもまた良いのかもしれません。ミロのヴィーナス的な。

 

 

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ボクと魔王』についてまだまだ書きたいことがありますが、今回は一旦ここまで。機会があればまた書きます。

 

なんと今日はちょうど『ボクと魔王』発売22周年ではありませんか!おめでとうございます。今でもファンの皆様に愛されているゲームってすごい!

 

おしまい