朝の散歩(フジオのブログ)

日記、感想、創作など。

読書感想3冊分

最近読んだ本3冊の簡単な感想です。

 

・村瀬孝生『おばあちゃんが、ぼけた。』

www.shin-yo-sha.co.jp

 

介護職の著者による、これまで関わってきたさまざまな「ぼけた」利用者さんのエピソードが紹介されています。

 

介護の現場に立ったことのない自分にとってはなかなか強烈なエピソードばかりでした。

 

強烈なんだけど、それを綴る著者の眼差しの優しさや、合間合間に挟まれる100%ORANGE氏のチャーミングなイラストのおかげで、たまに「ふふふ」と笑いながら、軽やかに読むことができました。

 

とはいえ、老いることはもちろん、ぼけることも他人事ではないので、真剣に読んでしまいました。エピソードによっては涙が出ました。

 

 

食事や排泄が不自由で他人にお世話してもらうのは、30分前のことがもう思い出せないのは、自分が今どこにいるか分からなくて家に帰ろうとして辿り着けないのは。

 

周りの人のストレスもハンパないでしょうし、本人も本当に辛いと思うんですよね。

 

自分がその状況に置かれたらどうだろう。(私は夢の中ではよく「知らない街で迷子になる」「電話をかけようとボタンを押すが何度やっても失敗する」「喋りたいのに声が出ない」などの状況に陥っているんですが、目覚めが最悪です。それがずっと続く感じかなあ)。

 

「ぼける」前は聡明で人望のある人も、ぼけてしまえば他人に見せたくない自分をたくさん見られちゃうのとかも。。。うーん、人格ってなんだ、人生ってなんだ。

 

 

自分の老後を想像して怖くもなりますが、同時にぼけても「美しいものを見て美しいと思う心は消えない」「直近の嫌なこともすぐ忘れるからある意味前向き・明るい」「ぼけている人同士の許しあい・優しさも存在する」といったポジティブな面もたくさん書かれていたので、よかったです。

 

 

ぼけないことに越したことはないでしょうが、ぼけた人に優しい世の中になれば良いと思いました(同じことが本の中にもっと丁寧な言葉で書いてありました)。

 

こんなに余裕のない、これからますますそれに拍車がかかるであろう国では難しそうですが。

 

 

この本を通じて、自分の将来のぼけもですが、現在ぼけ進行中の祖母との接し方、その祖母を介護している両親のストレス、そしてその両親も近い将来、高確率で、程度の差はあれ、ぼけてしまうことなどを、改めて考えました。

 

何気なく手に取った本でしたが、良い意味でなかなか印象的な一冊でした。

 

 

 

・森真一『ほんとはこわい「やさしさ社会」』

www.chikumashobo.co.jp

 

2008年出版と少し前の本ですが、そのあたりの時代に青春を送った身としては「あー、自分の性格が作られた背景が書かれているー!」(そして多くの自分と同世代の性質も言い表している)と感じた一冊でした。

 

「自分なりの人生を歩んできて、今の自分のスタンスができたんだ!」と思いたいところですが、「自分のスタンス」なんてものもほとんどが所詮は時代の産物であると改めて思い知らされて良かったです。

 

 

内容は、うまくまとめられないんですが、

今(2008年当時)の日本では「他人に”やさしく”ある」ことがルールの最優先事項・良いことになっていて。

その”やさしさ”というのが、「とにかく相手を傷つけない」の意味合いが強くなっていて(長い目で見れば相手のためになるであろう「注意」とか「叱る」とか「忠告」とかも、言った直後は相手を不快にさせるからNG、何も言わないのが吉、的な)。

なんでそうなったかというと、現代の人は「人生を自己のためだけに使う」価値基準が強まっているから(以前は「家族」「会社」「国」などを基準にしている人も多くいた)。自己のためだけ=一度きりの人生・自分が死んだら終わり(次につなげる対象がない)。自己というものが以前より神聖化している

ちょっとでも相手の「自己」を傷つけて、壊れたり爆発したりされたら大変だから、すっごく注意深く相手と関わることになる。なんなら最初から関わらない。これが今の”やさしさ”。(こういう”やさしさ”が主流になることで、反動でいじめや陰口が陰湿になっている)

やさしいけど、難しいし、ある意味厳しくて怖い社会だね(なお、対処方法は特に書かれていない)

 

…みたいな感じですかね。違っていたらすみません。本の中で実例がたくさん挙げられていて、私の理解度はさておき、スラスラと読めました。

 

内容の終盤に、「このやさしさ社会がそれほど悪いものと思っていない」とあるのが面白いです。

 

私自身も、家族や国などに自分のコアを置くより「私の人生は、魂は、私のものだー!」系の人間で尚且つ「相手を傷つけたくない、もちろん自分も傷つきたくなーい!」系の人間です。

 

そういう教育とか社会の中で生きてきたので、もうこのスタンスは簡単に変えられそうにないし、変える必要も感じていません。

 

このスタンスとできあがってしまった”やさしさ社会”の困った部分とどううまく折り合いをつけていくかを考えていこうと思います。

 

 

こちらもなんとなく手に取りましたが、面白い本でした!

 

 

 

田嶋陽子『愛という名の支配』

www.shinchosha.co.jp

 

お恥ずかしながら私は田嶋氏のことは「なんか、めがねの、テレビで見たことあるような…?」くらいの認知で、どのような方か全く知りませんでした。

 

こちらの作品は30年くらい前に書かれたもので少し現在と状況が違うこともあって、本文より先に、割と近年に書かれた山内マリコ氏によるあとがきから読み始めるとスッと入っていけました。

 

状況が違うというのはある意味ありがたいことで、それだけ30数年前と比べて多少はジェンダー的な意味で生きやすくなっているんだと思います。

 

それは田嶋さんはじめ、有名無名関わらず、「これはおかしいよ」と周りに嫌われても主張し続けてきた・行動し続けた人たちのおかげだと思います。ありがたいことです。

 

でも逆に30数年前から全然改善されていない側面も実感できて、逆に落ち込むというかゲンナリした思いにもなりました。

 

田嶋さんはフェミニズムをやりたくてフェミニズムをやってるんじゃなくて、自分の困りごと(母娘関係)と向き合ったら、自然とフェミニズムにつながった感じですよね。決して誰かを攻撃したいわけではないんだと思います。

 

どんな性別の方も今より生きやすくなりますように。(私は祈るだけで行動に移せない)

 

 

以上、最近読んだ本についてでした。